跡江の半ぴどん

半ぴどんは、跡江に生まれ、名を半平といい貧しい農民として1785年(天明五年)に死去、大分の吉四六(きっちょむ)、熊本の彦市とともに、宮崎のトンチ者として県内外に有名である。 半骨、知恵者で奇行も多く、役人の権力には、物言わぬ農民の代弁者として堂々と渡り合い、ユーモアを交えて役人の鼻を明かしたそうである。また焼酎クレのヨダキゴロでもあった。数多くの逸話があるが、ある時役人が村の溜池の堤を丈夫にする土木作業を村人に命じた「今日は村中総立ち(総出)じゃ、手抜きは許さんぞ」と厳命したが、半ぴどんは裏手で腕組みをし、一向に仕事をしないので役人がとがめると「総立ちで手を抜くなと言われたのでそんげしちょる」と答えた。役人は怒り「お前が居ると皆が仕事をせん、明日から役目に出なくてもよい」と言って帰したそうである。