延岡城跡
延岡城跡は、県(延岡)藩主・高橋元種によって慶長6~8年(西暦1601年~1603年)にかけて築かれた。元種は、松尾城(市内松山町)を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するため、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築いた。当時は県城と呼ばれ、2つの河川を外堀とし、城内に内堀がつくられた。城は、天守台、本丸、二ノ丸、三ノ丸からなる本城(城山公園)と、藩主の居宅である西ノ丸(内藤記念館・亀井神社)の2郭で構成され、門・櫓などが整備された。なかでも、二ノ丸にそびえる高さ22メートル・総延長約70メートルの石垣は「千人殺し」と呼ばれ、本城郭を代表する石垣となっている。
承応元年~明暦元年(1652年~1655年)には城の大修築が行われ、三階櫓、二階門櫓などが完成し、翌年これを記念して今山八幡宮に梵鐘(初代城山の鐘・延岡の地名が初見する最古資料・内藤記念館所蔵)が奉納された。しかし、天和2年(1682年・天和3年説もある)、火災のため三階櫓などは焼失し、以後三階櫓は再建されなかった。
若山牧水
若山牧水は、明治18年8月24日、宮崎県東郷町坪谷に生まれた。村の尋常小学校を終えると、十里(40キロメートル)ほど離れた延岡市の高等小学校に入り、新設された県立延岡中学校を卒業して、早稲田大学英文科に進学した。
延岡での8年間の青春は、山紫水明の自然と良き師友に恵まれ、将来天下に名を成す歌人として素養を培われた。
この歌は、昭和2年7月24日、台雲寺で詠んだもので、昭和10年春、全国3番目の牧水歌碑として建てられた。
毎年、春分の日に歌碑まつりが行われる。