去川のイチョウと関所

去川のイチョウ

このイチョウは、島津藩主初代忠久公(1179年~1227年)が当時、薩摩街道であったこの地に植えられたものと伝えられます。
この事から推定しますと、樹齢は約800年と考えられます。
幹の周囲は約10m、高さ約41m、枝張りは東に約10.3m、西に約13.0m、南に約10.2m、北に約16.1mあります。幹は、空に向かって大きく伸びており、太い枝が少ないのが、このイチョウの特徴で、秋には多くの実をつけます。 (案内板より)



二見家住宅(去川関所御定番)

16世紀末から江戸初期にかけて、去川は「左流川」「左理川」と書き、「さりかわ」とも呼ばれていました。
江戸時代には、薩摩藩の境目番書の一つである「去川の関」が置かれ、鹿児島と関外四ヶ郷(高岡・穆佐・綾・倉岡)、そして支藩佐土原へ通じる薩摩街道(高岡筋)の重要な地点であり、大変厳しい取調べが行われた所と伝えられています。二見家は、その御定番役に命じられ、代々この地に住み続けてきました。
(パンフより)


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