高木兼寛

高岡町出身ビタミンの父(1849年~1920年)
『病気を診ずして病人を診よ』
 イギリスに留学中、多くの優秀賞、名誉賞を受賞し、明治13年11月に帰国した高木兼寛は、海軍中医監と同時に東京海軍病院長に命ぜられました。
 このころの日本の海軍では、軍艦乗組員のなかにかっけ病患者が続出していました。海軍軍医だった兼寛は、このかっけ病の絶滅にとりくみました。
 このころ、かっけ病は細菌による伝染病と考えられていましたが、兼寛は、かっけ病は食事の栄養欠陥からおこると考え、「兵食改善」によるかっけ病の予防法にとりくみました。そして、ようやく軍艦「筑波」の航海実験をすることになりました。
 さきに、軍艦「龍驤」の航海で、乗組員の半数がかっけ病となり、「病者多し、航海できぬ金送れ」という悲痛な電報が「龍驤」から送られていたものが、兵食を改善した「筑波」から送られた電報は、「病者一人もなし、安心あれ」というものでした。このことによって、兼寛の予防法がひろく世界に認められることになりました。
  その後、ビタミンが発見され、かっけ病はビタミンB1の欠乏からおこることがわかりました。イギリスのビタミン学界の第一人者レスリ・ハリスは、世界の八大ビタミン学者を写真入りで紹介し、そのなかで兼寛を2番目にとりあげ、偉大な業績を紹介しています。
 また兼寛は、東京慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらに、宮崎神宮の大造営など多<の偉業を成しとげました。 
『病気を診ずして病人を診よ』という兼寛の言葉はたいへん有名です。(案内板より)

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