鵜戸神宮は、宮崎県日南市にある神社。
日向灘に面した断崖の中腹の岩窟(海食洞)内に作られた。
創建の年代は不詳であるが、社伝では崇神天皇または舒明天皇の時代、岩窟の中に大日孁貴尊以下六柱の神を祀る社殿を造営し鵜戸神社と称したのに始まると伝える。また、豊玉姫命が鸕鶿葺不合尊を産んだ地であるという伝承もある。
延暦元年(782年)、天台宗の開僧光喜坊快久が神殿を再建して別当寺を建立し、初代別当となって桓武天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」の勅号を賜った。その後、宗派が真言宗に移り、両部神道の一大道場となり、「西の高野」とも呼ばれた。明治時代までは仁和寺が別当を担当していた。
明治の神仏分離によって権現号と寺院を廃して鵜戸神社に改称、明治7年に鵜戸神宮と改称された。明治28年に官幣大社に列した。
鵜戸山八丁坂の由緒
鵜戸山への参詣路として鵜戸の港から鵜戸神宮の神門まで長さ八丁(約八百メートル)の石段が続いている。石段は吹毛井側から上り438段、下り377段の計815段からなる。
石段は近くの海岸から運んだとみられる磯石で人々の往還ですりへり中央部が凹んでおり往時の鵜戸山参りの殷賑さがしのばれる。
この八丁坂の石段は古老の伝えるところによると平安時代(延暦年中)吹毛井に住む尼僧が頭に磯石をかついで築いたものといわれ、以来江戸時代に至るまで修造が重ねられ石段の両側には老杉が聳え、明治維新までは鵜戸山仁王護国寺の十二坊があり盛観を極めた。石碑より